課題が発表されましたね。
日本では唯一のサックスコンクール。3年に1度のビックイベント。
今回僕にとっては4回目、そして30歳以下という年齢制限のため、最後の挑戦となります。
前回から課題の傾向が少しずつ変化して、サクソフォーンならではの近現代作品だけでなく、幅広い時代の音楽が課題となり、サクソフォーンの世界もクラシック音楽らしい社会になってきたように思います。
もちろんサクソフォーンのオリジナル曲の認知と新曲の発表はしていき、時代を作って行くべきだとは思うが、実際バロックやロマン派は学生の頃勉強する事がなかったので、今回のような課題は受験者にとって幅が広がるチャンスだと思います。
前回の2次課題曲だったシューベルトのアルペジオーネソナタも、取り組んだ事で幅が広がった。音色の傾向も、現代作品とは違う。
アナリーゼはやりやすい分、深い哲学がある。
答えのない答えを見つけようとします。
とても深い。
コンクールによって育てられてきた部分は大きい。管打コンクールは初めての挑戦から9年経つが、毎回収穫はある。ただ入賞はおろか、1次突破も難しい。
「コンクール」というものは一体どんなものなんでしょうか。
アドルフサックス国際コンクールを受けた時、ロシア人とビールを飲みながら、コンクールについて訪ねてみたら、彼は
「コンクールはスポーツだ!」
と言っていた。
また友人は、
「コンクールはナマモノだ!」と。
またある人は、
「コンクールは門出だ!」と。
このような意見を聞いていると、毎回納得させられる。落選した僕になぐさめという感じには聞こえないのです。
「コンクールは受ける事に意味がある」
ともよく言われる。
でもコンクールの目的は「優勝」です。タイトルをとるのが目的だと思います。その過程で様々の事を学びますが、結果を出すのがここでは目的にします。
その気持ちで受験してこそ、得る物が大きいのでしょう。
「優勝するつもりでコンクールに挑む事に意味がある」
これでしょう。
これは大変な精神力でしょう。
辛い物にブチ当たると、人間は楽な方に逃げようとします。それが「弱気」であって、僕も何度となくこれに邪魔されました。精神力の弱さですね。
たぶん「目標を入賞」にして、「目的を経験」に設定していた弱さがあった気がします。
結果は結果で受け止めることを身を持って経験した時に、何かを得ます。それが良くても悪くても。
大きな目標は自分の限界値を時に更新してくれます。
ショックは大きな傷を負います。もうこんな思いをしたくないと思います。だけど逃げずに戦います。
たぶんこれが精神力を成長させる気がします。
最後のチャレンジ、受かっても落ちても泣いてしまうくらいの思い入れで戦おうと思います。
ピンチはチャンスです。
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